hamachangのブログ

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2/15 回想

昨日2/14は言わずと知れたバン・アレン帯の誕生日だったようだが(分かる人だけに分かればよい)、一日遅れて高校時代の腐った思い出が蘇ってきたのでここに供養する。高校時代、私は何を血迷ったか陸上部に入部した。脚も速くないし運動も苦手なのに。なぜ突然陸上部に入部したのかと言えば様々な要因が作用した為、としか記すことができないのだが、その一つに当時恋い焦がれていたひとりの女性の存在があったことは間違いないだろうと思う。

彼女(三人称代名詞)とは小学校からの友人であり、小中高と進学を共にした為に運命的なものを"勝手に"感じていた。彼女は私より背が高く、小さな頃から地域のクラブで陸上をやっていたようである。従って中学も陸上部に所属していた。高校受験も終わり、中学の卒業が近づいてきた頃、正直な話私と彼女はそれなりによい雰囲気であった。スマートフォンを買い与えられたばかりの私は彼女と連絡先を交換して毎日それなりに連絡を取り合っていたし、彼女も私と同じぐらい頻繁にメッセージを寄こした。それらのやりとりの中で、必然的にこれから始まる淡い青春、華の高校生活に向けての会話が為されるようになる。ある時、彼女から何の部活に入るのか、と問われたことがあった。彼女を想っていた私は彼女の気を引くべく陸上部に入部するつもりだ、とつい表明してしまった。そこで私が貴方はどの部活を選ぶのですかと聞いてみると、「(私の名前)が陸上部に入るなら私も陸上部に入部する」と返信があった。その時の私のフワフワとした気持ちというか、高揚感は何とも形容し難いモノであったと思う。もう大昔のことなので細いところは色々と忘れている部分もあるが、ある程度鮮明に記憶しているのはやはり当時相当なインパクトを与えた出来事だったからだと推測する。

彼女からの返信を受け取った私は、もしかすると彼女とねんごろになることができるかもしれないと無益な妄想を膨らませて幸せの絶頂を迎えていた。男女の恋愛においては交際する前が一番楽しい、とよく言われるがそれは間違いないだろうと身を以て感じた。

しかし彼女との一見上手く行きそうな関係性は高校入学からすぐ解消されてしまうことになる。まず先にも述べたように私は運動が苦手である。中学時代はテニス部に所属していたが、3年間のうち公式戦で勝利したことがあるのはたったの2回だけである。中2の頃、まだ小学生のような入学ホヤホヤの1年生と対戦したことがあった。しかし私があまりにも下手すぎて、超初心者の1年生に大敗を喫してしまったことがある。どうせ私には運動向いてないなどといじけて練習も真面目に取り組まなかった…等々の要因はあるだろうが私はとにかく運動が苦手であった。そんな私が、中学から陸上をやっていたような人間に混ざって高校で活躍することなどできるはずがない。私と同じく陸上部に入部した彼女は、選手として競技に取り組むのではなくマネージャーとして選手を支える側に回ったようだった。普段の練習や記録会での各選手をマネージャーとして見続けている彼女にとって私は「脚の遅い根暗」のように映っていたのではないだろうか。

 

私の入学した年、男子の新入部員は私を含めて4名であり、そのうちの一人にHがいた。Hは小さい頃から地域の陸上クラブで鍛錬を積んできた男で、容姿その他諸々を鑑みてもそれなりにナイスガイであった。察しの良い方はもうお気づきかと思うが、要するに彼女はスポーツマンでそれなりに二枚目で周囲からの人望も厚いHに惚れていたようなのだ。私のような人間はまるでHからは真反対な人間であるから、今更彼女の心変わりをどうこう言うつもりは無いし何より彼女は交際相手でもなんでもないのだから文句を付ける資格すら持ち合わせていない。が、それからの私がどのような煩悶とした日々を送ったかは想像に難くないだろうと思う。ほぼ毎日の部活の中で彼女とHのいちゃつきを見せつけられる、彼女の友人らはHへの彼女の想いを知っている為「話しかけてきなよ」的な女同士の馴れ合いを見せつけられる…。とにかく一方的に好意を寄せる私にとって最悪の状況が続いたワケである。ある日部活が終わって帰ろうとしたとき、夕暮れのグラウンドの端で彼女とHが二人で背比べをしているのを見てしまったときにはもう死んでやろうと思った。世界はあまりにも現金ではないか、なぜ神(本当にいるのか?)はここまで酷い仕打ちを私に与え給うのであろうか。帰り道、自転車に乗りながら足りない知識を動員して哲学したことを思い出した。彼女と共に幸せな高校生活を送れるならば!と淡い希望を抱いて陸上部に入部した阿呆な私は一転、意中の人が別の男とよろしくやっているのを眺めながら好きでもない400m走を毎日ゲロを吐きながら練習する地獄の様な日々を送っていたのだった。

 

確か高校2年に上がった年だったと思うが例の2/14日、所謂バレンタインデーの思い出を今になって思い出した。その日は部活が終わって、部室で着替えていた時。コンクリート打ちっぱなしの部室は狭くて、男子部員が全員着替えるとぎゅうぎゅうのすし詰めとなる。辛い練習が終わった後だったから、先輩や我々も今日の練習はきつかったな等とお喋りをしたり携帯電話をつつくなどしていた。そんな最中にドアの向こうからノックがあり、どうやら女子部員が我々のうち誰かを呼んでいるようだった。後輩がドアを開けて隙間から応答するとHだけが外へ出ていった。まぁこの時点で大方の予想はついていたのだけど、案の定Hは彼女からチョコレートを貰っていた。もちろん私には無い。とてもつらく悲しい出来事だった、今でも考えると心が苦しくなってくる。今まで彼女がHに対する想いを表明してなかった事を思えばこそ、何とか耐えてきたが今回で彼女のHに対する好意は決定的となった。とにかく私は意気消沈してひとり尾崎豊を聴きながら帰宅した。その後二人がどうなったかは知らない。

彼女がHに対してどのような想いを抱いていようと、チョコレートをあげようと、私には何も関係がない。彼女は17歳の純な高校生として青春を謳歌していたに過ぎないのだから、何も悪くない。悪いのはむしろ私の方である。彼女への想いを拗らせて高校生にして根暗偏屈ゴミ虫野郎に成り下がり、気味の悪い思いをさせてしまったかもしれない。この腐った思い出を供養して、今こそ彼女に謝罪しよう。件から半年程度経過した頃、私は陸上部から逃亡するため生徒会執行部へ入部した。形式的には掛け持ち、という形になるが高校3年生はほとんど生徒会室に入り浸っていた。生徒会では溜まりに溜まったカス・エネルギーを原動力として今までにない生徒会機関紙の発行に躍起した。創刊号を発行して第二号を鋭意作成中のとき、学校の地元国公立大学妄信主義を批判する記事を書こうとしたら進路指導の数学教師の目に留まり発禁処分を受けた。もはやバレンタインデーの話は全く関係がないが、私の高校時代はこのような愛すべき腐食した思い出と共にあったということを頭の片隅に置いて、いつの間にか忘れて頂ければ幸いである。